【塾の見解】福島県立高校入試 歴史整序(明治維新以降)

明治維新以降の並べ替えは過去10年間で9回出題

以前に分割掲載した内容をまとめました。

福島県の県立高校入試問題の歴史の年代順並べ替え問題のうち明治維新以降の内容については、この10年の間に平成24年度を除いて9回出題されてきました。中には10年に満たない期間で起きた出来事だけでの並べ替え問題があったり、正答率が10%を切った年度もありました。近代・現代の整序問題はその間隔が狭いだけでなく、1つ1つの出来事の関連性について考えてみることが大切になります。

[平成20年度]

ア 政府は廃藩置県を行い、全国を直接治める中央集権の形をととのえた。

イ 知識人や新聞人らが護憲運動を起こし、桂太郎内閣は53日で退陣した。

ウ 犬養毅首相が海軍将校の一団によって暗殺され、政党政治が終わった。

エ 民権運動が激化するなか、ヨーロッパから帰国した伊藤博文は内閣制度を創設した。

[平成21年度]

ア 米の安売りを求める運動をきっかけに、米騒動が全国に広がった。

イ 埼玉県秩父地方で農民らが高利貸しなどを襲った秩父事件が起こった。

ウ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起こった。

エ 田中正造は、足尾銅山の鉱毒により大きな被害が起こった事件の解決に取り組んだ。

[平成22年度]

ア 清では、義和団が外国勢力の中国進出に反発し、北京の各国公使館を包囲した。

イ ロシア、フランス、ドイツの三国は、日本に遼東半島の清への返還を勧告した。

ウ 日本とイギリスは、ロシアに対抗して日英同盟を結んだ。

エ 甲午農民戦争を機に清が朝鮮に出兵すると、日本も清に対抗して出兵した。

[平成23年度]

ア アメリカでの株価の暴落をきっかけに、世界恐慌が起きた。

イ イタリアがエチオピアを侵略して併合した。

ウ イギリスの植民地であったインドが独立した。

エ ロシアの革命政府が、ソビエト社会主義共和国連邦を成立させた。

[平成25年度]

ア 日ソ共同宣言が発表される。

イ サンフランシスコ平和条約が結ばれる。

ウ 日韓基本条約が結ばれる。

エ 日中共同声明が発表される。

[平成26年度]

A 日露戦争

B 下関砲台占領

C 西南戦争

D 大政奉還

[平成27年度]

ア ニューヨークの株式市場で、世界恐慌の契機となる株価の大暴落が起こった。

イ 日本の軍隊はマレー半島に上陸するとともに、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。

ウ 北京郊外の盧溝橋で、日本と中国の軍隊による武力衝突(盧溝橋事件)が起きた。

エ 満州の奉天郊外の柳条湖で、日本の軍隊による南満州鉄道の線路の爆破事件が起きた。

[平成28年度]

ア 日本は韓国における日本の優越権をロシアに認めさせた。

イ 日本は、旅順・大連の租借期間の延長や、ドイツが持つ山東半島の権益などを日本へ譲ることを中国に要求した。

ウ 日本は、朝鮮の独立を清に認めさせ、遼東半島や台湾などを得た。

エ 日本は、韓国を併合し、朝鮮総督府を設置した。

[平成29年度]

ア 普通選挙法にもとづき、初めて満25歳以上の男子による衆議院議員選挙が行われた。

イ 板垣退助らが民撰議院設立建白書を政府に提出した。

ウ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起きた。

エ 政党政治家や民衆による第一次護憲運動が起き、桂太郎内閣が総辞職に追い込まれた。

 

解答および解説

[平成20年度] ア→エ→イ→ウ 正答率42.8(0.2)%

ア 政府は廃藩置県を行い、全国を直接治める中央集権の形をととのえた。

イ 知識人や新聞人らが護憲運動を起こし、桂太郎内閣は53日で退陣した。

ウ 犬養毅首相が海軍将校の一団によって暗殺され、政党政治が終わった。

エ 民権運動が激化するなか、ヨーロッパから帰国した伊藤博文は内閣制度を創設した。

アは「廃藩置県」ですから明治初期(1871)なのは明らかです。イは桂太郎内閣を覚えていなくても「護憲運動」という語句から大正デモクラシーと分かるはずです。ウは「五・一五事件」で「二・二六事件」同様よく出題の対象となりますが、ともに昭和になってからの出来事であることは絶対に把握しておかなければならない内容です。エは明治(1885)ですが、明治政府が成熟していく過程を考えればこれがアより後であることを判断するのはそう困難なことではありません。このレベルの問題はぜひともクリアしておきたいところです。それにしても部分正答率の0.2%はどういうことなのでしょうか?

覚えていない場合は考えながら判断する

[平成21年度] イ→エ→ア→ウ 正答率9.8%

ア 米の安売りを求める運動をきっかけに、米騒動が全国に広がった。

イ 埼玉県秩父地方で農民らが高利貸しなどを襲った秩父事件が起こった。

ウ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起こった。

エ 田中正造は、足尾銅山の鉱毒により大きな被害が起こった事件の解決に取り組んだ。

この10年間の並べ替え問題の中で最も正答率が低かった問題です。この問題の正答率が10%に満たなかった一因として、イとエがいつ頃の出来事なのかがあやふやだった可能性があるのですが、覚えていない場合は考えながら判断していくことです。イは1884年ですが、何年かがわからなくても、このような事件が起こるということは明治政府がまだ安定していない時期だと考えられれば、少なくとも1890年の第1回帝国議会よりも前だろうと判断することができるはずです。足尾銅山鉱毒事件と田中正造に関しては受験生にとっては常識的な組み合わせなのですが、その時期についてはなかなか理解されていないようです。でも、ちょっと考えてみれば田中正造は国会でこの問題を取り上げたのですから1890年の第1回帝国議会よりも後だと判断することはできるはずです。また、アの「米騒動」の1918年とウの「二・二六事件」の1936年は、歴史の問題の中ではかなりポイントの高い出来事で、出題者にとっては何年に起きたかをしっかりと覚えているはずという前提があります。結局この問題ではアとエの順番をどう判断するかが分かれ目になったものと思われるのですが、ではどのように考えるべきだったのでしょうか。そのヒントは1918年という年が「米騒動」とともに「原敬の政党内閣」とセットで学習することになっているところにあります。つまり、米騒動の時期には初めての本格的な政党内閣が誕生するくらいですから、足尾銅山鉱毒事件の田中正造のころよりは国会が成熟してきた時期のはずで、アよりもエの方が先に起きた出来事だと判断できるのではないでしょうか。

なお足尾銅山鉱毒事件については、栃木県選出の衆議院議員だった田中正造が議員を辞職して1901年に明治天皇に直訴することになります。

出来事の内容から流れを考える

[平成22年度] エ→イ→ア→ウ  正答率15.6%

ア 清では、義和団が外国勢力の中国進出に反発し、北京の各国公使館を包囲した。

イ ロシア、フランス、ドイツの三国は、日本に遼東半島の清への返還を勧告した。

ウ 日本とイギリスは、ロシアに対抗して日英同盟を結んだ。

エ 甲午農民戦争を機に清が朝鮮に出兵すると、日本も清に対抗して出兵した。

エの1894年からウの1902年までの間の出来事による並べ替えです。8年間という短い期間の問題だったせいか正答率が低くなっていますが、エ以降はすべて関連する出来事ですから流れを考えることで正解に持ち込まなければいけない問題だといえます。ストーリーの展開としては

日本 「清に挑戦(朝鮮)だ!」

ロシア「日本ばかり甘い汁を吸ってんじゃねぇ!」

清  「寄ってたかって甘い汁吸いやがって外国の連中を追い出せ!」

日本 「そろそろイギリスの後ろ盾でロシアに三国干渉の仕返しだ!」

というような感じでしょうか。

[平成23年度] エ→ア→イ→ウ  正答率13.1%

ア アメリカでの株価の暴落をきっかけに、世界恐慌が起きた。

イ イタリアがエチオピアを侵略して併合した。

ウ イギリスの植民地であったインドが独立した。

エ ロシアの革命政府が、ソビエト社会主義共和国連邦を成立させた。

アは1929年で、各国が第二次世界大戦へと向かっていく大きな要因となる出来事ですから、何年に起きたかをしっかり押さえておく必要があります。イはアからの流れとして「持たざる国」が他国への侵略に走るわけですからア→イの順だと判断することが可能だと思います。ウについては、中東以外のアジアの国々で第二次世界大戦以前から独立を保っていたのは日本以外では中国とタイだけですから、これは大戦後の出来事となります。エは1917年と勘違いするケースが多いのですが1922年のことなので注意しましょう。この1922年については正確に覚えていなくてもいいのですが、第一次世界大戦の終戦後であることは理解しておきましょう。選択肢として正答率の13.1%ほど難しい問題だとは思えないのですが、イとウのあたりで判断に迷ったのかもしれません。

戦後の国際社会復帰は超重要テーマ

[平成25年度] イ→ア→ウ→エ  正答率27.8%

ア 日ソ共同宣言が発表される。

イ サンフランシスコ平和条約が結ばれる。

ウ 日韓基本条約が結ばれる。

エ 日中共同声明が発表される。

戦後の日本が独立国としての主権を回復し、国際社会に復帰していく過程は入試問題の中では超重要ポイントとなっています。以下の流れをしっかりと押さえておきましょう。

1945年「ポツダム宣言受諾」→「GHQの間接統治」→「民主化政策(財閥解体・農地改革)」→1946年11月3日「日本国憲法公布」→1947年5月3日「日本国憲法施行」→1950年「朝鮮戦争」→「警察予備隊新設」→「特需景気」→1951年「サンフランシスコ平和条約」「日米安全保障条約」→1954年「自衛隊設置」→1956年「日ソ共同宣言→国際連合加盟」

この流れの中で国際連合への加盟については、1951年の「サンフランシスコ平和条約」に調印しなかったソ連が五大国の拒否権を行使していたため、1956年の「日ソ共同宣言」で日本とソ連の国交が回復するまで実現できなかったことが記述式の定番問題となっています。

1965年のウは何年なのかまでは覚えていなくても間に合うのですが、1964年の「東海道新幹線開通→東京オリンピック」と1968年の「小笠原諸島の日本復帰」の間の出来事であることは把握しておきましょう。エは1972年で、同年にはこの声明の前に「沖縄の日本復帰」が実現しています。

なお、エの年代の出来事としては1973年の「石油危機(第四次中東戦争)」が頻出事項です。また1978年の「日中平和友好条約」については1972年の「日中共同声明」と混同しないよう注意するようにしましょう。

[平成26年度] B→D→C→A  正答率28.0%

A 日露戦争

B 下関砲台占領

C 西南戦争

D 大政奉還

明治維新以降という分類の中にBとDが混じっていますが、絵や写真の入ったカード形式の出題でした。このBの「下関砲台占領」とDの「大政奉還」は幕末から明治維新へ向けての重要な出来事ですからB→Dの順番を間違えることは許されないでしょう。またCの「西南戦争」は明治政府に対する内乱ですから明治初期、つまりD→Cであることは明らかです。Aの「日露戦争」にいたっては、起きたのが1904年であることまで覚えていなければいけない出来事ですからC→Aの順以外はあり得ません。このレベルの問題の正答率が前年度(平成25年度)の正答率とほとんど変わらないということは、現代よりも前の時代についてその流れを意識した学習が足りていなかった、あるいはカード形式の並べ替えに騙されたということなのでしょうが、ぜひとも正解しておきたい問題だと思います。

関連性のある出来事の並べ替え

[平成27年度] ア→エ→ウ→イ  正答率29.8%

ア ニューヨークの株式市場で、世界恐慌の契機となる株価の大暴落が起こった。

イ 日本の軍隊はマレー半島に上陸するとともに、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。

ウ 北京郊外の盧溝橋で、日本と中国の軍隊による武力衝突(盧溝橋事件)が起きた。

エ 満州の奉天郊外の柳条湖で、日本の軍隊による南満州鉄道の線路の爆破事件が起きた。

アはこの10年間で平成23年度以来2度目の登場です。関東大震災(1923年)や金融恐慌が起こっていた日本にとって、1929年のこの出来事は国内に深刻な不況をもたらすとともに太平洋戦争へと歩み出す決定的な要因ともなっていることから、歴史の並べ替え問題の中ではどうしても使いたくなる選択肢だと思われます。この問題も太平洋戦争へ突入していく流れを問う内容となっていますが、これに関しては以下の出来事をしっかり押さえておきましょう。

1929年「世界恐慌」→1931年「満州事変」→1932年「五・一五事件(海軍将校・犬養毅)」→1933年「国際連盟脱退」→1936年「二・二六事件(陸軍青年将校)」→1937年「盧溝橋事件→日中戦争」→1938年「国家総動員法」→1940年「日独伊三国同盟」「大政翼賛会」→1941年「太平洋戦争」

これらの出来事は1つ1つが何年の出来事かがわからなくても、その関連性を考えて順番を判断していくことが大切になります。

[平成28年度] ウ→ア→エ→イ  正答率22.5%

ア 日本は韓国における日本の優越権をロシアに認めさせた。

イ 日本は、旅順・大連の租借期間の延長や、ドイツが持つ山東半島の権益などを日本へ譲ることを中国に要求した。

ウ 日本は、朝鮮の独立を清に認めさせ、遼東半島や台湾などを得た。

エ 日本は、韓国を併合し、朝鮮総督府を設置した。

アは「日露戦争」にともなう「ポーツマス条約」の内容で1905年です。イは第一次世界大戦の最中でアジアを顧みる余裕がなくなったヨーロッパ諸国の隙をついて、日本が中国につきつけた「二十一か条の要求」の内容で1915年のことです。ウは「日清戦争」にともなう「下関条約」の内容で1895年です。戦争やそれにともなう条約、またイのような戦時中の出来事についてはできるだけ何年に起きた出来事なのかを把握しておきたいところです。エの「韓国併合」は1910年のことですが、1911年には「関税自主権の回復」や中国の「辛亥革命」がありますから、並べ替え問題を意識してしっかりとチェックしておきましょう。

[平成29年度] イ→エ→ア→ウ  正答率31.4%

ア 普通選挙法にもとづき、初めて満25歳以上の男子による衆議院議員選挙が行われた。

イ 板垣退助らが民撰議院設立建白書を政府に提出した。

ウ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起きた。

エ 政党政治家や民衆による第一次護憲運動が起き、桂太郎内閣が総辞職に追い込まれた。

アの「普通選挙法」成立の1925年は、同年に「治安維持法」も成立していることから頻出事項となっていますので覚えておきましょう。またこのときの内閣が「加藤高明内閣」であることや、この選挙法の下での最初の衆議院議員選挙が1928年だったこともよく問題の中で使われます。イは1874年で明治のかなり早い時期ですが、「民撰議院設立建白書」の意味を考えれば、まだ帝国議会ができていないのですから、これが明治初期であることは明らかでしょう。ウは平成21年度の出題から2度目の登場です。1936年(昭和)の出来事であることはしっかりと覚えておきましょう。エも平成20年度以来2度目の登場となっています。20年度と同様に「護憲運動」と「桂太郎内閣」を使った選択肢となっていますが、なんといってもこの問題は並べ替えですから「大正デモクラシー」という表現を使用するわけにはいかないのです。

アとエはどちらも大正時代の出来事なのですが、アが大正末期でエが大正初期と正確に把握できていなくても「デモクラシー(民主主義)」→「普通選挙」の流れは考えて判断できることなのでエ→アの順番を決めることはそう難しいことではないでしょう。

 

チャレンジ! 33件を一気に並べ替え(明治維新以降のmix問題)

過去10年間の問題をそのまま並べ替え問題にしてみました。ダブっている選択肢は36件中3件だけですので、33の出来事の並べ替えとなります。頑張ってチャレンジしてみましょう。

ア 政府は廃藩置県を行い、全国を直接治める中央集権の形をととのえた。

イ 知識人や新聞人らが護憲運動を起こし、桂太郎内閣は53日で退陣した。

ウ 犬養毅首相が海軍将校の一団によって暗殺され、政党政治が終わった。

エ 民権運動が激化するなか、ヨーロッパから帰国した伊藤博文は内閣制度を創設した。

オ 米の安売りを求める運動をきっかけに、米騒動が全国に広がった。

カ 埼玉県秩父地方で農民らが高利貸しなどを襲った秩父事件が起こった。

キ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起こった。

ク 田中正造は、足尾銅山の鉱毒により大きな被害が起こった事件の解決に取り組んだ。

ケ 清では、義和団が外国勢力の中国進出に反発し、北京の各国公使館を包囲した。

コ ロシア、フランス、ドイツの三国は、日本に遼東半島の清への返還を勧告した。

サ 日本とイギリスは、ロシアに対抗して日英同盟を結んだ。

シ 甲午農民戦争を機に清が朝鮮に出兵すると、日本も清に対抗して出兵した。

ス アメリカでの株価の暴落をきっかけに、世界恐慌が起きた。

セ イタリアがエチオピアを侵略して併合した。

ソ イギリスの植民地であったインドが独立した。

タ ロシアの革命政府が、ソビエト社会主義共和国連邦を成立させた。

チ 日ソ共同宣言が発表される。

ツ サンフランシスコ平和条約が結ばれる。

テ 日韓基本条約が結ばれる。

ト 日中共同声明が発表される。

ナ 日露戦争

二 下関砲台占領

ヌ 西南戦争

ネ 大政奉還

ノ ニューヨークの株式市場で、世界恐慌の契機となる株価の大暴落が起こった。

ハ 日本の軍隊はマレー半島に上陸するとともに、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。

ヒ 北京郊外の盧溝橋で、日本と中国の軍隊による武力衝突(盧溝橋事件)が起きた。

フ 満州の奉天郊外の柳条湖で、日本の軍隊による南満州鉄道の線路の爆破事件が起きた。

へ 日本は韓国における日本の優越権をロシアに認めさせた。

ホ 日本は、旅順・大連の租借期間の延長や、ドイツが持つ山東半島の権益などを日本へ譲ることを中国に要求した。

マ 日本は、朝鮮の独立を清に認めさせ、遼東半島や台湾などを得た。

ミ 日本は、韓国を併合し、朝鮮総督府を設置した。

ム 普通選挙法にもとづき、初めて満25歳以上の男子による衆議院議員選挙が行われた。

メ 板垣退助らが民撰議院設立建白書を政府に提出した。

モ 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起きた。

ヤ 政党政治家や民衆による第一次護憲運動が起き、桂太郎内閣が総辞職に追い込まれた。

 

mix問題解答および明治維新以降出題選択肢一覧

ニ1864 下関砲台占領

ネ1867 大政奉還

ア1871 政府は廃藩置県を行い、全国を直接治める中央集権の形をととのえた。

メ1874 板垣退助らが民撰議院設立建白書を政府に提出した。

ヌ1877 西南戦争

カ1884 埼玉県秩父地方で農民らが高利貸しなどを襲った秩父事件が起こった。

エ1885 民権運動が激化するなか、ヨーロッパから帰国した伊藤博文は内閣制度を創設した。

シ1894 甲午農民戦争を機に清が朝鮮に出兵すると、日本も清に対抗して出兵した。

マ1895 日本は、朝鮮の独立を清に認めさせ、遼東半島や台湾などを得た。

コ1895 ロシア、フランス、ドイツの三国は、日本に遼東半島の清への返還を勧告した。

ケ1900 清では、義和団が外国勢力の中国進出に反発し、北京の各国公使館を包囲した。

ク1901 田中正造は、足尾銅山の鉱毒により大きな被害が起こった事件の解決に取り組んだ。

サ1902 日本とイギリスは、ロシアに対抗して日英同盟を結んだ。

ナ1904 日露戦争

ヘ1905 日本は韓国における日本の優越権をロシアに認めさせた。

ミ1910 日本は、韓国を併合し、朝鮮総督府を設置した。

1913 知識人や新聞人らが護憲運動を起こし、桂太郎内閣は53日で退陣した。

1913 政党政治家や民衆による第一次護憲運動が起き、桂太郎内閣が総辞職に追い込まれた。

ホ1915 日本は、旅順・大連の租借期間の延長や、ドイツが持つ山東半島の権益などを日本へ譲ることを中国に要求した。

オ1918 米の安売りを求める運動をきっかけに、米騒動が全国に広がった。

タ1922 ロシアの革命政府が、ソビエト社会主義共和国連邦を成立させた。

ム1928 普通選挙法にもとづき、初めて満25歳以上の男子による衆議院議員選挙が行われた。

1929 アメリカでの株価の暴落をきっかけに、世界恐慌が起きた。

1929 ニューヨークの株式市場で、世界恐慌の契機となる株価の大暴落が起こった。

フ1931 満州の奉天郊外の柳条湖で、日本の軍隊による南満州鉄道の線路の爆破事件が起きた。

ウ1932 犬養毅首相が海軍将校の一団によって暗殺され、政党政治が終わった。

セ1935 イタリアがエチオピアを侵略して併合した。

1936 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起こった。

1936 陸軍の青年将校が首相官邸や警視庁などを襲撃した二・二六事件が起きた。

ヒ1937 北京郊外の盧溝橋で、日本と中国の軍隊による武力衝突(盧溝橋事件)が起きた。

ハ1941 日本の軍隊はマレー半島に上陸するとともに、ハワイの真珠湾を奇襲攻撃した。

ソ1947 イギリスの植民地であったインドが独立した。

ツ1951 サンフランシスコ平和条約が結ばれる。

チ1956 日ソ共同宣言が発表される。

テ1965 日韓基本条約が結ばれる。

ト1972 日中共同声明が発表される。

 

明治維新以前の出来事が2件混じっていますが、出題の対象となった1864年の「下関砲台占領」から1972年の「日中共同声明」までの36件を順に並べてみた結果、ダブっている3件を除いて同じ年に起きた出来事は出題されていないのですが、その間隔は最大でも9年です。出題者は約110年の間の出来事についてできるだけ重複を避け、まるで隙間を埋めるようにして選択肢を選んでいるかのようです。でもこれだけの出来事を並べてみても、まだまだ出題されていない重要な出来事が見えてきませんか。

そろそろ過去問と同じ年に起きた出来事にも注意が必要な時期だとも思うのですが、まだ出題されていない重要事項と合わせて、この「一覧」と問題ごとの解説や教科書の年表などを参考に今後の学習の進め方を考えてみてはどうでしょうか。

 

明治維新以前の整序問題はこちらです。

平成30年度の整序問題はこちらです。

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