【塾の見解】福島県立高校入試 歴史整序(明治維新以前)

過去10年間の歴史並べ替え問題を見る

以前に分割掲載した内容をまとめて掲載しました。

福島県の県立高校入試問題の社会の歴史分野では、4つの歴史上の出来事や政治、文化等について年代順に並べ替える問題が毎年出題されています。出題パターンとしては「明治維新以前」と「明治維新以降」に分かれるのですが、最近では両パターンともそれぞれ出題されることが多くなっています。

4つの選択肢の並べ替えは全体で24通りとなりますから、いわゆるマグレ当たりというものはほとんど期待できません。出題されることがほぼ確定している問題形式である以上はしっかりとした対応を取っておく必要があります。その第一歩として、この10年の間に出題された過去問を振り返ってみたいと思います。

まずは明治維新以前のパターンからです。正解を考えてみて下さい。

[平成20年度]

ア 幕府は勘合という証明書を用いて明と貿易を行った。

イ 豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったときに、朝鮮から活字印刷術が伝えられた。

ウ 聖徳太子は仏教や儒教の考えを取り入れて、十七条の憲法を定めた。

エ 後鳥羽上皇が挙兵すると、北条政子は御家人たちに頼朝の御恩を説いて結束を訴えた。

[平成21年度]

ア 幕府は参勤交代をゆるめるかわりに、幕府へ米を献上させる上げ米の制を定めた。

イ 幕府は江戸・大阪周辺の大名や旗本の領地を幕府の領地にしようとしたが失敗した。

ウ 大老の井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま、日米修好通商条約を結んだ。

エ 老中の田沼意次は、商人の力を利用して財政を立て直そうとした。

[平成22年度]

ア 杉田玄白らが、西洋の解剖書を翻訳した「解体新書」を出版した。

イ 紀貫之らが、天皇の命令により、「古今和歌集」を編集した。

ウ 雪舟が、中国大陸にわたり水墨画を学び、「秋冬山水図」などを描いた。

エ 運慶らが、東大寺南大門の金剛力士像を制作した。

[平成24年度]

ア 明智光秀が、京都の本能寺で織田信長を自害に追い込んだ。

イ 徳川家康が、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた。

ウ 李舜臣の水軍が、朝鮮に出兵した日本の水軍と戦った。

エ 圧政に苦しんだ島原や天草の人々が、天草四郎を大将として一揆を起こした。

[平成25年度]

ア 朝廷の監視などを強めるために京都に六波羅探題を置いた。

イ 生活が苦しくなった御家人を救うために徳政令を出した。

ウ 二度目のモンゴル軍の来襲にそなえ博多湾岸に石塁を築いた。

エ 裁判の基準を御家人に示すために御成敗式目をつくった。

[平成27年度]

ア 老中の水野忠邦は、株仲間を解散させ、江戸に流入した人々を農村に帰らせた。

イ 老中の田沼意次は、商工業者による株仲間の営業権を認めて税を納めさせた。

ウ 老中の松平定信は、商品作物の栽培を制限し、ききんに備え米をたくわえさせた。

エ 大阪町奉行所の元役人の大塩平八郎は、人々の苦しい生活をみかねて乱を起こした。

[平成29年度]

ア 幕府は、開国を求めてペリーを派遣したアメリカと、日米和親条約を結んだ。

イ 世論を大切にして政治を行うことなど、新しい政治の方針を示す五箇条の御誓文が出された。

ウ アメリカが貿易を行うことを強く求めたため、幕府は日米修好通商条約を結んだ。

エ 日本の沿岸に外国船がさかんに現れるようになり、幕府は異国船(外国船)打払令を出した。

 

解答および解説

このパターンでは、選択肢の時代の間隔が大きいときに比較的易しい問題となりますが、平成21年度のように狭い範囲での出題のときに極端に正答率が低くなることもありますから出来事のポイントや流れをきちんと把握しておきましょう。

[平成20年度] ウ→エ→ア→イ 正答率64.4(0.2)%

ア 幕府は勘合という証明書を用いて明と貿易を行った。

イ 豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったときに、朝鮮から活字印刷術が伝えられた。

ウ 聖徳太子は仏教や儒教の考えを取り入れて、十七条の憲法を定めた。

エ 後鳥羽上皇が挙兵すると、北条政子は御家人たちに頼朝の御恩を説いて結束を訴えた。

アが室町、イが安土桃山、ウが飛鳥、エが鎌倉と各時代ごとの選択肢となっています。イの「朝鮮から活字印刷術が伝えられた」がやや難易度が高いのかもしれませんが、豊臣秀吉だけで十分判断の材料になります。正答率が示す通りかなりやさしめの問題といえそうです。ただ、部分正答率の0.2%はいったい何なのか気になったりしませんか?

 

[平成21年度] ア→エ→イ→ウ 正答率18.7%

ア 幕府は参勤交代をゆるめるかわりに、幕府へ米を献上させる上げ米の制を定めた。

イ 幕府は江戸・大阪周辺の大名や旗本の領地を幕府の領地にしようとしたが失敗した。

ウ 大老の井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま、日米修好通商条約を結んだ。

エ 老中の田沼意次は、商人の力を利用して財政を立て直そうとした。

正答率が低い原因は、イが天保の改革であることを把握できていないためではないかと思われます。天保の改革は「水野忠邦」と「株仲間の解散」の2点はしっかりと押さえられているのですが、イや「江戸への出かせぎ農民の強制帰郷」に関しての理解度は低いようです。この選択肢イの内容については改革失敗の大きな要因ともなりますので見落とすことはできません。

 

[平成22年度] イ→エ→ウ→ア 正答率52.5%

ア 杉田玄白らが、西洋の解剖書を翻訳した「解体新書」を出版した。

イ 紀貫之らが、天皇の命令により、「古今和歌集」を編集した。

ウ 雪舟が、中国大陸にわたり水墨画を学び、「秋冬山水図」などを描いた。

エ 運慶らが、東大寺南大門の金剛力士像を制作した。

各時代の文化を代表する作品で構成した出題となっています。アは江戸時代、イは平安時代です。ウの雪舟の「秋冬山水図」は制作年代が不明ですが1490年前後との推定がありますから、室町時代または戦国時代となります。また、エは鎌倉時代を代表する作品ですから全体として比較的分かりやすい選択肢といえるでしょう。

 

[平成24年度] ア→ウ→イ→エ 正答率47.6%

ア 明智光秀が、京都の本能寺で織田信長を自害に追い込んだ。

イ 徳川家康が、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた。

ウ 李舜臣の水軍が、朝鮮に出兵した日本の水軍と戦った。

エ 圧政に苦しんだ島原や天草の人々が、天草四郎を大将として一揆を起こした。

アの1582年からエの1637年までのかなり短い間隔ではありますが、ウの朝鮮出兵を行ったのが豊臣秀吉だと分かってさえいれば、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康の流れは日本史の常識レベルですから、あとはエの「島原・天草一揆」をどこに入れるかだけの問題になっています。この問題の正答率が47.6%だったことをどのように評価するのかで意見が分かれそうです。

 

[平成25年度] ア→エ→ウ→イ 正答率25.3%

ア 朝廷の監視などを強めるために京都に六波羅探題を置いた。

イ 生活が苦しくなった御家人を救うために徳政令を出した。

ウ 二度目のモンゴル軍の来襲にそなえ博多湾岸に石塁を築いた。

エ 裁判の基準を御家人に示すために御成敗式目をつくった。

鎌倉時代の出来事だけで構成された問題です。正答率の25.3%が示すように難易度が高い問題となりました。イの「御家人の生活が苦しくなる」一因がウの「モンゴル軍の来襲」であることが分かっていれば「ウ→イ」の流れは判断できるのですが、アとエについてはこの選択肢だけでは後先を判断する材料が乏しいので、覚えていない限りは正解することは難しいかもしれません。

なお、イの選択肢の「徳政令」については「御家人」とセットであることが鎌倉時代を示す根拠となっています。「徳政令」と類似した表現として「借金の帳消し」という語句が使われることがありますが、この表現の出題では設問の中の時代を特定するために室町時代だと「土一揆」、江戸時代では「旗本や御家人」のような語句とセットで使われることになりますのでしっかり押さえておきましょう。

 

[平成27年度] イ→ウ→エ→ア 正答率24.7%

ア 老中の水野忠邦は、株仲間を解散させ、江戸に流入した人々を農村に帰らせた。

イ 老中の田沼意次は、商工業者による株仲間の営業権を認めて税を納めさせた。

ウ 老中の松平定信は、商品作物の栽培を制限し、ききんに備え米をたくわえさせた。

エ 大阪町奉行所の元役人の大塩平八郎は、人々の苦しい生活をみかねて乱を起こした。

江戸時代だけの政治を中心とした問題です。アは「天保の改革」で平成21年度以来2度目の登場となります。選択肢に「株仲間の解散(1841年)」が含まれているため前回よりも比較的わかりやすかったかと思われますが、「人返し令(1843年)」についてもその内容を記憶しておきましょう。イの「田沼意次」も平成21年度以来2度目の登場です。1767年から86年までは「田沼時代」とも呼ばれていますが、田沼意次が老中になったのは1772年のことです。江戸時代の政治に関して入試問題に登場する重要人物は、順に徳川家光(参勤交代)→徳川綱吉(生類憐みの令)→新井白石(正徳の治)→徳川吉宗(享保の改革)→田沼意次(株仲間の奨励)→松平定信(寛政の改革)→水野忠邦(天保の改革)となります。このうち三大改革の徳川吉宗・松平定信・水野忠邦に田沼意次を加えた四人は超頻出人物で、その政治の内容と登場順番についてはよく整理しておく必要があります。エの「大塩の乱」は1837年の出来事ですが、おそらくこのエとアの順番の判断が正答率に大きく影響したのではないかと思われます。元とはいえ幕府関係者が主導した反乱ですから、幕府にとってその衝撃は大きく、この乱も一因となって「天保の改革」につながっていくと理解しておけばエ→アの順が確定できるのではないでしょうか。

 

[平成29年度] エ→ア→ウ→イ 正答率49.5%

ア 幕府は、開国を求めてペリーを派遣したアメリカと、日米和親条約を結んだ。

イ 世論を大切にして政治を行うことなど、新しい政治の方針を示す五箇条の御誓文が出された。

ウ アメリカが貿易を行うことを強く求めたため、幕府は日米修好通商条約を結んだ。

エ 日本の沿岸に外国船がさかんに現れるようになり、幕府は異国船(外国船)打払令を出した。

エの1825年からイの1868年までの短い期間の中の問題ですが約50%の正答率となっています。イは明治維新で時代の転換期ですからとても分かりやすいのに加えて、他の選択肢にはすべてに「幕府」という語句が入っていますのでイが4番目になることは明らかです。出題者としてはできることなら「幕府」を入れずに選択肢を作りたかったのではないかと思われるのですが、残念ながらここで主語(行為者)を消すことは日本語的に難しかったのでしょう。ア、ウ、エの順番については鎖国から開国への流れであることを考えれば、正確に年代を覚えていなくても比較的簡単な並べ替えとなります。エの「異国船(外国船)打払令」が鎖国の時期、アの選択肢には「開国を求めて」とあるので開国の時期、ウの選択肢には「貿易を行うことを強く求めた」とありますから開国後であることが判断できます。このレベルの問題はぜひとも正解しておきたいところです。

なおペリーに関連する問題では、日米和親条約が結ばれたのが1854年であることだけでなく、浦賀に来航したのは前年の1853年だったことに注意して下さい。また日米和親条約で函館とともに開港された下田について、地図上で浦賀との位置関係を確認しておきましょう。

 

未出題の重要事項を考えるヒントに

過去10年間に出題された7問について全部の選択肢を年代順に並べてみました。雪舟の秋冬山水図は正確な制作年代が不明です。また朝鮮から活字印刷術が伝えられたのは文禄の役のときとされています。

 

604 聖徳太子は仏教や儒教の考えを取り入れて、十七条の憲法を定めた。

905 紀貫之らが、天皇の命令により、「古今和歌集」を編集した。

1203 運慶らが、東大寺南大門の金剛力士像を制作した。

1221 後鳥羽上皇が挙兵すると、北条政子は御家人たちに頼朝の御恩を説いて結束を訴えた。

1221 朝廷の監視などを強めるために京都に六波羅探題を置いた。

1232 裁判の基準を御家人に示すために御成敗式目をつくった。

1276 二度目のモンゴル軍の来襲にそなえ博多湾岸に石塁を築いた。

1297 生活が苦しくなった御家人を救うために徳政令を出した。

1404 幕府は勘合という証明書を用いて明と貿易を行った。

14?? 雪舟が、中国大陸にわたり水墨画を学び、「秋冬山水図」などを描いた。

1582 明智光秀が、京都の本能寺で織田信長を自害に追い込んだ。

1592 李舜臣の水軍が、朝鮮に出兵した日本の水軍と戦った。

159? 豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったときに、朝鮮から活字印刷術が伝えられた。

1603 徳川家康が、征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開いた。

1637 圧政に苦しんだ島原や天草の人々が、天草四郎を大将として一揆を起こした。

1722 幕府は参勤交代をゆるめるかわりに、幕府へ米を献上させる上げ米の制を定めた。

1772 老中の田沼意次は、商人の力を利用して財政を立て直そうとした。

1772 老中の田沼意次は、商工業者による株仲間の営業権を認めて税を納めさせた。

1774 杉田玄白らが、西洋の解剖書を翻訳した「解体新書」を出版した。

1787 老中の松平定信は、商品作物の栽培を制限し、ききんに備え米をたくわえさせた。

1825 日本の沿岸に外国船がさかんに現れるようになり、幕府は異国船(外国船)打払令を出した。

1837 大阪町奉行所の元役人の大塩平八郎は、人々の苦しい生活をみかねて乱を起こした。

1841 老中の水野忠邦は、株仲間を解散させ、江戸に流入した人々を農村に帰らせた。

1843 幕府は江戸・大阪周辺の大名や旗本の領地を幕府の領地にしようとしたが失敗した。

1854 幕府は、開国を求めてペリーを派遣したアメリカと、日米和親条約を結んだ。

1858 大老の井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま、日米修好通商条約を結んだ。

1858 アメリカが貿易を行うことを強く求めたため、幕府は日米修好通商条約を結んだ。

1868 世論を大切にして政治を行うことなど、新しい政治の方針を示す五箇条の御誓文が出された。

 

いずれも重要事項ばかりですから、これだけでもちょっとした歴史のポイント整理になりそうです。28の選択肢の中で同じものは「田沼意次」と「日米修好通商条約」がそれぞれ2回ずつとなっています。この2件は日本史の中でも重要事項ですから他の事項で代用することができなかったのだろうと思われます。また1221年の承久の乱について後鳥羽上皇と六波羅探題に分けていることや、天保の改革について異なった内容で出題しているところをみると、過去問と重複する選択肢をできるだけ避けようと努力している雰囲気が感じられます。そこでこれらの出題内容をしっかりと押さえた上で検討してみれば、まだ出題されていない重要事項が見えてくるのではないでしょうか。特に政治・文化・人物などのテーマ別の検討はかなり学習の参考になると考えられます。

 

明治維新以降の整序問題はこちらです。

平成30年度の整序問題はこちらです。