【塾の見解】福島県立高校入試 歴史整序問題(平成31年度)
平成最後の出題には令和の問題への模索が
平成20年代から見てきた福島県立高校入試の歴史整序問題も、今回で平成最後となります。30年度の解説で指摘したように、それまでの『明治維新以前』と『明治維新以後』というカテゴリーには明らかな変化がみられ、さらには新たな出題形式を試すなど、令和の時代の整序問題へ向けての模索が始まっているようです。
[平成31年度大問3]
ア 幕府は、平戸に設けられていたオランダ商館を長崎の出島に移した。
イ ロシアと樺太・千島交換条約を結び、日本とロシアの国境を確定した。
ウ 杉田玄白などがヨーロッパの解剖書を翻訳した『解体新書』を出版した。
エ 日本の開国を求める、アメリカの大統領の国書を持参したペリーが浦賀に来航した。
[平成31年度大問4]
ア 県内の霊山や宇津峰は南朝方の拠点の一つとなり北朝方との戦いの場となったが、足利義満によって南北朝が統一された。
イ 現在の浜通り付近が石城の国と呼ばれていたころ、神話や伝承、記録などをもとに記した歴史書の『日本書紀』が完成した。
ウ 伊達郡国見町の阿津賀志山の戦いでは、源義経をかくまった平泉の奥州藤原氏の軍と、それを滅ぼそうとした源頼朝の軍が戦った。
エ 会津をおさめていた上杉景勝は、新たに神指城を築こうとしたが、徳川家康の会津への出兵や関ヶ原の戦いにより築城を中断した。
【解説&解答】
やはりカテゴリーに変化が
[平成31年度大問3]
ア 幕府は、平戸に設けられていたオランダ商館を長崎の出島に移した。
イ ロシアと樺太・千島交換条約を結び、日本とロシアの国境を確定した。
ウ 杉田玄白などがヨーロッパの解剖書を翻訳した『解体新書』を出版した。
エ 日本の開国を求める、アメリカの大統領の国書を持参したペリーが浦賀に来航した。
今回のテーマは江戸から明治初期にかけての外国とのかかわりのようです。
ウの『解体新書』は平成22年度に「杉田玄白らが、西洋の解剖書を翻訳した『解体新書』を出版した」と出題されています。また、エの『ペリー』については平成29年度に「幕府は、開国を求めてペリーを派遣したアメリカと、日米和親条約を結んだ」とありますが、これは1854年のことで、今回はその前年の出来事として出題されました。アは鎖国の時期における長崎貿易の内容ですが、出島に限定されたのはオランダのみで、中国(清)は異なる区画であることに注意しましょう。イの樺太・千島交換条約は「日本とロシアの国境を確定」と記述されており、北方領土の問題との兼ね合いからもしっかりと把握しておく必要がありそうです。
【解答】 ア(1641) → ウ(1774) → エ(1853) → イ(1875) 正答率28.2%
福島県に関わる問題
[平成31年度大問4]
ア 県内の霊山や宇津峰は南朝方の拠点の一つとなり北朝方との戦いの場となったが、足利義満によって南北朝が統一された。
イ 現在の浜通り付近が石城の国と呼ばれていたころ、神話や伝承、記録などをもとに記した歴史書の『日本書紀』が完成した。
ウ 伊達郡国見町の阿津賀志山の戦いでは、源義経をかくまった平泉の奥州藤原氏の軍と、それを滅ぼそうとした源頼朝の軍が戦った。
エ 会津をおさめていた上杉景勝は、新たに神指城を築こうとしたが、徳川家康の会津への出兵や関ヶ原の戦いにより築城を中断した。
「福島県に関わる歴史的なできごとについて述べた次のア~エを、年代の古い順に左から並べて書きなさい」という設問になっています。平成21年度に「福島県内の遺跡と歴史上福島県にかかわりのある人物についてまとめたものの一部」として『三貫地貝塚(縄文時代)』、『慧日寺(平安時代)』、『白水阿弥陀堂(1160年)』、『北畠顕家像(14世紀中ごろ)』、『松平定信像(18世紀後半)』の写真が出題されたことがありました。これらは整序問題にはなっていませんでしたが、受験生の居住地域による不公平感に配慮してか、いずれにも時代や年代についての表記がありました。今回の設問でも「福島県に関わる歴史的なできごと」とはいえ、アの『足利義満・南北朝』、イの『日本書紀』、ウの『源義経・頼朝』、エの『徳川家康・関ヶ原の戦い』だけで十分正解が可能なレベルの問題となっていますから、このスタイルの整序問題が今後も続くとは考えにくいところです。正答率からみてもぜひとも正解しておきたい問題でした。
【解答】 イ(720) → ウ(1189) → ア(1392) → エ(1600) 正答率53.2%