これって、センター効果?
文学好きだった卒業生のK君、正月早々数年ぶりに塾に顔を見せるやいなや
「塾に松村栄子の『僕はかぐや姫』ありましたよね?」
と勢い込んで尋ねてくるのです。
もうだいぶ前(1991年)のことになるのですが知人が電話を掛けてきて
「知り合いの女の子が新人文学賞を受賞したんだよ。彼女は磐城女子高出身でね、登場人物の女子高生たちが自分のことを『僕』って呼ぶんだ」
と、その作品の新しい感性とやらを興奮気味に伝えてきました。
塾の生徒の中には、ときどき一人称の代名詞に『僕』や『俺』を使用する女子もいるのでそれほど驚くことではないし、知人の知人ではまったくの赤の他人じゃないかとも思ったのですが、彼のお薦めに従って書店で取り寄せて読んでみました。
でも「海燕」新人文学賞なのですよ、この本は。いわゆる「純文学系」の小説ですね。エンターテインメント路線の本にしか馴染みのない者にとってはちと荷が重かったなぁ。松村栄子はこのあと芥川賞作家になってしまうし、自分には縁のない作家かと思っていたのですが、十数年後の『雨にもまけず粗茶一服』で驚かされることになります。
『雨にもまけず粗茶一服』を書店で見かけたとき、いつもならパクリのようなタイトルの本は敬遠することが多いのですが、「あの松村栄子かぁ」と思って手に取ったらまさかの面白さに即購入しての一気読みで、塾生にもお薦めしていた記憶があります。文学路線の芥川賞作家だからといって敬遠していたら、いつの間にやらエンタメ小説を書いていたのですから驚きです。作品から引用すれば『これだから小説家たちには気を許せない』といったところで、油断も隙もあったものでした。シリーズ化された同作品はそれから十数年をかけて昨年暮れの3作目でめでたく完結となっています。
『僕はかぐや姫』は2006年のセンター試験に出題されて受験生たちにショックを与えたことが語り継がれていますが、そのときの正直な感想は「ええっ、こっちかい? 読ましときゃよかった」でした。出題作品を読んでいたからといって問題が解けるわけではないのでしょうが、この作品については衝撃を和らげる程度の免疫効果はあったのではないかと思ったのです。こういうのを『後の祭』とでも言うのでしょうか。ちょっと悔しかったのでセンター試験の後「塾にはこの本があります」と自慢してみたのですが何の役にも立ちませんでしたね。
ところで卒業生のK君です。
書庫に眠っていた『僕はかぐや姫』を探し出して手渡すと
「これ初版本なのに状態がいいっすよね。しかも帯まで付いてるじゃないですか!」
何をそんなに興奮しているのかと思えば
「今、中古本で大変なことになってますよ」
と言われてネットで検索すれば、確かに高値がついているのです。
これってもしかしてだけど、センター効果なのでしょうか?