アステカ王国とインカ帝国の征服(その1)
1521年スペイン人のエルナン・コルテスが508名の兵士とともにメキシコに上陸。アステカ王国には数万もの戦士がいたにもかかわらず、皇帝は自ら捕虜となることを許してしまいます。これは彼らがスペイン人たちをアステカの神の再来と思い込んだためらしいのです。アステカの伝説では、その神は髭がある背の高い白人で、いつの日にか戻ることを約束して海の彼方に去ったことになっていたそうです。そのうえコルテスが上陸した地点が、たまたまこの神が戻って来るとされていた場所に近かったとあっては、当時のアステカ人が勘違いするのも無理はないのかもしれません。コルステはその後2年で帝国を滅ぼしますが、最後の首都攻略戦に臨んだスペイン兵の数は900名だったとされています。
一方でスペイン人のフランシスコ・ピサロは、ペルー探検のために兵士180名と3名の聖職者、馬37頭とともに3隻の船で1531年にパナマを出帆しています。そして彼は32年にインカ帝国の皇帝を捕らえ、翌33年には反逆を企てたとしてこの皇帝を処刑して帝国を滅亡させてしまうのです。その後インカ人による抵抗が続いたものの、数的に不利なはずのスペイン人たちは着々とアンデス地域の植民地化を進めていくことになったのです。
次回に続く